Scribble at 2025-05-26 11:40:40 Last modified: unmodified
I can easily sympathize with efforts to try to control the threats posed by advanced technology, including this case. I am, however, skeptical about the possibility of doing so. [...] Such suspicions are of course no reason not to try, and to exercise vigilance.
なんだか生成 AI が吐き出した AI 論評みたいな、つまり平準化されたように凡庸な内容で、非常につまらないな。本当にチョムスキーがこのていどの論評しかできないというのであれば、もういい歳なんだから社会評論なんかは引退したどうなんだろう。このていどのコメントなら、東アジアの辺境国家にウシガエルと同じくらいたくさんいる「コメンテーター」とか「評論家」なんかと同じレベルだよ。
それはそうと、上の引用で最後に "Such suspicions are of course no reason not to try, and to exercise vigilance." という表現があるけれど、これはもちろん意味としては生成 AI の可能性に疑問があるからといって、生成 AI の研究や応用を試さない理由にはならないし、そしてその動向について経過を怠る理由にもならない」と言ってるわけだけど、この中で "exercise vigilance" という表現をいくつかの自動翻訳に通してみると、「警戒を怠る」と訳したり「警戒を怠らない」と訳したりすることがあって、困惑させられる。そもそも構文として "no reason not to try, and to exercise vigilance" というところで "no" のスコープが "to try" にだけかかっているなら、"exercise" に「怠る」なんて意味はないのだから、"no reason to exercise vigilance"(警戒する理由にはならない)という逆の意味になってしまう。だが "no" が "to exercise vigilance" にもかかるとすれば、"no reason not to try, and not to exercise vigilance" となって、「警戒することをしない理由にもならない」という意味にはなる。